弱者にとって必要不可欠な「自由」。

「自由」は弱者の為の物。強者は弱者たる他者を力で制圧し、屈服させ、支配すれば用向きは足りるから、そもそも「自由」の概念を必要とはしない。
「弱肉強食」が掟の自然界では「弱者」たる「被捕食者」は「捕食者」から食べられない様に群れを作って対処する場合が多い。
そして、それは有効な対抗手段に思える。

が、人間の「弱者」は、些細な事で群れる為の「交渉」は容易に「決裂」し、反目し合い、対立し、憎しみ合い、啀み合い、結果分裂する。
結局は、是々非々で「呉越同舟」して群れる事叶わず、「強者」の「蹂躙」に任せる事が多い。

対照的に満たされた人間の強者は「金持ち喧嘩せず」と言われる通り、余裕の有る状況故、損得を冷静に判断し、是々非々を以って他の強者と交渉し・連携し、強力な群れたる集団を作り、利権団体として己の利益追求に更に邁進する事に成る。

曰く、社交倶楽部、曰く、社交界、曰く、慈善団体、曰く、政治団体、曰く、宗教団体、曰く職能、業界団体。
種々各種利権団体が百花繚乱、花盛り。

「弱者」の不平不満渦巻く口を封ずる為、様々な思想・言論規制・統制法案が目白押しだ。
面白い事に、「弱者」同士が千差万別の思想・言論を差別し合い、反目し合っい、嫌悪し合って、「強者」の望む通りの「法規制」待望論が湧く。
「安全」「平和」の「美しき」お題目の下に。

今日も強者の盤石たる支配が世界を覆う。

誰かを嘲笑い、嫌悪する前に考えたらいいだろう、果たして貴方は支配者・強者か?

兎角この世は儘成らぬとは良く言ったものです。