カウンターカルチャーたるオタク文化の本質は低い参入障壁に在り。

俺はオタクカルチャーに感謝している。オタクにならなければ猟奇的殺人者になっていたから…… 〜 秋葉原通り魔事件の報道を観て思う - 世界のはて

朝のTV番組で、テリー伊藤がこんなことを言っていた。

「仕事とかじゃなくてもね、1つでも良いから自分が必要とされているっていう実感を持つことができるモノを持つことが重要なんだと思うんですよ。そういうモノがあれば、社会全体に対して恨みの感情なんて、なかなか抱きませんよ。それは、人間じゃなくても良い。たとえばペットを飼うとか。ペットは、自分を必要としてくれるでしょ。そういうことが大事なんじゃないですか」

オタクカルチャーは、懐が広い文化だと思う。他の文化に比べ、参入障壁が異常に低い。独りでも楽しめるジャンルが多く、「リア充」になれなかった人間でも安心して楽しめる寛容さがある。

だからこの文化は、世間のコミュニケーション競争で負けた人間の避難場所としても機能する。オタクカルチャーには、「コミュニケーション弱者」が多く集まりがちだという側面があるのは事実だろう。そんな集団は、外部から見たらキモい人間の集まりのように見えるかも知れない。何をしでかすか分からない、得体の知れない集団の文化に見えるかも知れない。

しかし、彼・彼女達にとって、そこは必要な場所なのだ。コミュニケーション能力が過剰なまでに求められる現代日本で、残された数少ない癒しの場なのだ。そうした場が奪われることで、「自分が必要とされているっていう実感を持つことができるモノ」をそこに求めていた人間が、どんな絶望を味わうことだろう?かろうじて残された社会の居場所を失った者たちが、どんな行動に走ることだろう?想像力を働かせて欲しい。

今回の事件で、オタクカルチャーへの規制がますます強まるかも知れない。昨今、だいぶ風向きが変わってきたように見えていた、オタクという人種への偏見の眼が、また強まるかも知れない。

そんな方向に社会が動かないことを、心の底から祈りたい

オタクカルチャーへの規制は、オタクカルチャーを通じてかろうじて社会に繋がっていた人間を、社会から振るい落とす。そうして社会は人生の受け皿の多様性を失い、社会不適応者を量産し、今回のような社会不適応者による事件がまた発生する可能性を高めることになる。それは、目に見えている。

少なくとも一人、オタクカルチャーのお陰で犯罪者にならずに済んだ人間が、ここにいます。

http://d.hatena.ne.jp/Masao_hate/20080610/1213060723

誰かに必要とされるのはとても大切だと思います。
必要性=他者からの承認=生存に対する赦し其の物です。
アニメーション作品「王立宇宙軍」のワンシーンに、「人間は必要とされてるから生きられる、必要とされなくなったら消え去る」と言う意味合いの台詞が在った様に思います。
其れと符合してますね。


まぁ、生命の本質は生存闘争で有り、誰かの赦しや宇宙・神の赦しを持って存在を許される訳ではないですのけど、心の中に赦しが無ければ心の平安は無いですから、実在しようがしまいが、心の中だけの神への信仰が有るんじゃないかと。
苦しい時の神頼み程度でも。


然し、うへぇ、何と言う慧眼!何と言う本質!
参入障壁の低さに注目するとは!
成る程、参入障壁の低さは文化の発展に非常に重要ですわ。
吃驚する程の真理を言い当ててて、驚嘆するしかないです。


小説・漫画・アニメーション・映画・音楽・演劇の鑑賞。
此れは人類が言語を獲得してから営々と続いて来た文化の営みに連なって、受動的に愉しむだけなら、実に参入し易いです。
ゲームは双方向性が本質なので、プレイをすると言う敷居が有りますが、高度な技術性を目指さないなら基本的に誰もが楽しめる物が多いですからやっぱり参入障壁が低い文化と言えましょう。


然もカウンターカルチャーたるオタク系文化には消費の仕方の正解が無いって事です。
此れは大きいです。
学問だと学究の明確な方向性があって、その方向性の枠で研究成果を競うのですが、オタク文化はどのような方向性も許容してるって事です。


それ以外の文化だと、スポーツ系はスポーツ観戦以外はフィジカルな要素が大きくて、体力・技術の習得にかなり時間と努力を費やすので参入障壁が大きいと言えます。
手っ取り早く上達するには師匠の下で修行する、チーム・クラブを作って練習・実戦を繰り返して修行するとか。
色々大変です。


PC+netの組み合わせは他のジャンルの参入障壁の閾値をぐっと下げてます。


今流行のVOCALOID+DTMの組み合わせもPC+Softwareの支援に依る作曲・演奏は、ユーザーが音楽知識が無い、少なくても何とか行えるってところは通常の音楽演奏より参入障壁が低い文化です。
今現在のnet+検索エンジン+PC組み合わせから難解なコンピューターのprogramming文化の参入障壁の閾値がどんどん下がってると言えます。
PCのグラフィック系ソフトの支援での描画も参入障壁の閾値を下げてます。
動画編集もワープロを扱う程度の感覚で誰でも行える此れ又参入障壁の低い文化です。


で、日本のカウンターカルチャーに付いて思うのは、やっぱり産業化され易い文化形態・技能が評価される状況に有ります。
良く言われるのが、日本のオタク文化の代表は「同人誌」が活発で、海外のオタク文化は「コスプレ」の方が活発と聞きます。
同人誌は産業化可能な「コンテンツ」ですが、「コスプレ」産業化が難しいので日本では評価され辛いと。


逆に海外では自己表現文化が基本なので、自己表現の塊の「コスプレ」が隆盛を極めると。
所謂一人称文化ですね。


逆に日本は三人称の客観視点の文化なので、物語を語る語り部たる同人誌文化が中心に成ると。
自分語りをせず、寡黙に物語世界を職人として紡ぐスタイルです。


音楽・ダンス等のプレイヤーのオタク系文化へのリスペクト・カヴァーの形での本格参入は最近で、音楽・ダンス等のフィジカルな要素を持つアーティストはオタク文化に依存しなくても基本的に自己表現が成り立ってたと言えます。