萌えの価値/子供主人公の日常系物語。

『らき☆すた』を見た非オタの友人が衝撃の一言 - GilCrowsのペネトレイト・トーク
このエントリを読んでの感想。


「萌え」と言う言葉以前の旧き世代の華麗衆故か、やっぱり自分には「萌え」と言う言葉は余り意味がないと言うか、他者に意思を伝えるには便利な情報交換ツールとしての「単語」としては機能してますが、趣味的アイデンティティとして「萌え」を必要として無い事を実感しますね。


例えば、今日はTHE iDOLM@STERのとかちこと双海亜美・真美の生誕日ですが、自分にとっての亜美・真美は昔から慣れ親しんでた子供キャラクターの血脈を受け継いだ正統派キャラクターにしか見えません。
亜美・真美はあの古典的丁髷スタイルも有って、ぶっちゃけ「じゃりン子チエ」の竹本チエと同じ子供キャラクター系譜です。
チエは口が悪いですが、周りの大人達より非常に聡明な所が亜美・真美と違いますけど。
底抜けの明るさが共通点と言えば共通点ですね。
チエはホルモン屋「チエちゃん」を経営する経営者で、経済的には一家を支える大黒柱、実質家長状態ってのが余りにも有能過ぎる子供ですが。
竹本チエの本質はやっぱり小学生の子供って事で、世知辛い世間の風に翻弄されながらたくましく日々戦ってる様で、実は子供らしい庇護される暖かく平和な家庭に憧れてて、子供らしい豊かな感受性を失ってないって所は魅力です。


らき☆すた」のキャラクターも全く萌えを意識してないですね。
平野綾氏演じるアニメ版「泉こなた」のねっとりとした喋り方はTARAKO氏演じる「ちびまる子ちゃん」のまる子こと「さくらももこ」の独特の喋り方と同列ですし。
でも、高校生なのに小学生の喋りと同列にされるこなたってやっぱりヘンかもです。


こなたの魅力は独立独歩・唯我独尊的マイペースですね。
高い自我の独立性に有るとも言えます。
割と淡々と日々を過ごしてるって所がまたまる子的なんですが。
アクティヴ過ぎるオタク趣味な消費者としては過剰消費で若いのに若干「黒い」のはまぁ、近年の若年層の消費パターンの反映してますね。


大人は大人のドラマ・小説を消費すべしと思う方もいらっしゃるでしょうが、閉塞感漂う日常では正直リアルな大人の物語は生きる事に精一杯な自分には受け止める余裕は無いというか、日々の疲れを癒す物語に成りません。
リアルで大人社会の生存競争に晒されてるのに、大人の黒い戦いの物語を更に消費するってどーよって感じで。


そう言う意味では、比較的閉じた学校・家庭を物語舞台の中心にする大人が庇護する平穏な日常たる「らき☆すた」「ちびまる子」「じゃりン子チエ」は同列の存在です。
少なくとも大人な生存を賭けた苛烈なルール無用の弱肉強食の競争は無いですから。
子供を日常系の物語の主人公に据えると言うのは多くの場合そう言う事です。


子供が苛烈極まりない逆境の運命に翻弄される様子を描く物語は又別の趣向とも言えますが。


アイドルマスターはアイドルを育成し、オーディションに勝ち抜き、ライヴを成功させる非常に戦闘的なゲームですが、コミュと呼ばれる、アイドルとのコミュニケーションパートはやっぱり765プロと言う組織に庇護されている存在としてのアイドルを中間管理職のプロデューサーが見守る感じです。
本質は日常系の物語なんですよ。